〒903-0114沖縄県中頭郡西原町字桃原85番地 TEL098-945-9268 受付時間平日9:00~17:00

司法書士宮城事務所 > お便り > お便り > ヤナーチェックの「シンフォニエッタ」

ヤナーチェックの「シンフォニエッタ」
2015年12月14日

晩年に多くの傑作を生み出したヤナーチェク

チェコに咲く 遅咲きの花~ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」~

“遅咲き“作曲家の創作意欲の源とは?

 

すみれ

「テレビ見たよ。」

 

ポリー

「おー。すみれ。久しぶり。何みたの?」

 

すみれ

「ららら、クラシック。」

 

 

小さな交響曲に込めた愛

「シンフォニエッタ」とは「小さな交響曲」という意味。ヤナーチェクがこの作品を作曲したのには、当時のヨーロッパの社会情勢が影響しています。レオシュ・ヤナーチェクが生まれたのは、現在のチェコ共和国。当時のチェコは長きにわたり近隣諸国の支配をうけており、街ではチェコ語だけでなく、ドイツ語が広く使われていました。人一倍、愛国心の強かった彼は、祖国が支配下にあることに、大きな反発心を抱いていたといいます。そして1918年、祖国がようやく独立を勝ち取ります。彼はこれまでの苦難の歴史と開放の喜びを込めて、シンフォニエッタを作ったのです。それぞれの楽章は生涯の大半を過ごしたチェコの街、ブルノの情景をモチーフに作られました。

 

 

すみれ

「小さな交響曲って渋い。他の国の支配に置かれるってどんな状況だったのかな。」

 

爆発する愛、爆発する創作

1854年、現在のチェコにあるモラヴィア地方で生まれましたヤナーチェク。作曲家としてはいくつかヒット作はあるものの、60歳をすぎるまで、国外ではほぼ無名の存在でした。

 

そんな彼の音楽人生に、大きな転機をもたらしたのが、25歳の女性カミラです。当時ヤナーチェクは63歳、2人とも結婚しているにもかかわらず、ヤナーチェクは一目ぼれ。11年間に渡りカミラに600通を超えるラブレターを送っています。

 

彼の一途な思いに、次第にカミラも心を開き、いつしか互いに気持ちを通わせていくようになります。そして出会いから数年後、2人が散歩に出かけた際に、野外音楽堂から軍楽隊のファンファーレが聞こえてきました。

 

幸せな思い出とともに、それはヤナーチェクの心に深く刻みこまれたのです。そしてその翌年、ある記念式典のために音楽を依頼されます。ヤナーチェクの頭に浮かんだのは、2人できいたあのファンファーレ。そして彼は、独自のアレンジを加えたファンファーレに始まる交響曲「シンフォニエッタ」を書き上げたのです。結局ヤナーチェクはカミラと結婚することはできませんでしたが、彼女を愛した晩年の11年で「シンフォニエッタ」をはじめ、多くの代表作を生み出しました。

 

すみれ

「恋の力はすごいね。年齢関係なし。600通のラブレターは今どうなっているんだろう。それまでも頑張ってきた分が一気に開花した縁かな。いつもメモ帳を持ち歩いていて、チェコの人の言葉やアクセントを音符に直し、メモ。ヤナーチェックの妹が、息を引き取るときの、ため息の音も手帳に。」

 

心にしみるファンファーレ

シンフォニエッタの演奏には、オーケストラとは別に「バンダ」と呼ばれる小編成のアンサンブルが加えられています。そのバンダが奏でる独特のメロディー。不思議と耳に残るその秘密は、5音音階で奏でられるファンファーレにあります。一般的なファンファーレは三連音符など鋭く特徴的なリズムが多いのに比べ、シンフォニエッタは悠々としており、力強く土着的な雰囲気を与えます。さらに2番目と6番目の音が抜けている“ニロ抜き音階”によりノスタルジックなイメージも加わっているのです。わらべ歌や歌謡曲に“ニロ抜き音階”が使われる事もあり、日本人にも親しみのある音階でできているのです。

 

すみれ

「バンダのせいか、二ロ抜き音階のせいか、力強くて地面にしっかり立っている感じがするな。」

 

 

 

―「IQ84」村上春樹―より

ヤナーチェックは1926年にその小振りなシンフォニーを作曲した。冒頭のテーマはそもそも、あるスポーツ大会のためのファンファーレとして作られたものだ。青豆は1926年のチェコ・スロバキアを想像した。第1次大戦が終結し、長く続いたハプスブルク家の支配からようやく解放され、人々はカフェでビルゼン・ビールを飲み、クールでリアルな機関銃を製造し、中部ヨーロッパに訪れた束の間の平和を味わっていた。フランツ・カフカは2年前に不遇のうちに世を去っていた。ほどなくヒットラーがいずこからともなく出現し、その小ぢんまりした美しい国をあっという間にむさぼり食ってしまうのだが、そんなひどいことになるとは、当時まだ誰ひとりとして知らない。歴史が人に示してくれる最も重要な命題は「当時、先のことは誰にもわかりませんでした」ということかもしれない。青豆は音楽を聴きながら、ボヘミアの平原を渡るのびやかな風を想像し、歴史のあり方について思いをめぐらせた。

1926年には大正天皇が崩御し、年号が昭和に変わった。日本でも暗い嫌な時代がそろそろ始まろうとしていた。モダニズムとデモクラシーの短い間奏曲が終わり、ファシズムが幅をきかせるようになる。

―引用おわりです。